2009年09月13日

「にせもののかぎばあさん」

今日、子どもについて近くのショッピングセンターに併設された図書室に行ってきました。子ども向けの本が集められた小さな部屋で、親が買い物をしている間、子どもが時間をつぶすのにはもってこいの場所です。本好きの息子はここに行くのが好きで、私もときどき、本を読む子どもの脇で、適当にパラパラと本を読んでいます。

今日、手に取った本は、「にせもののかぎばあさん」という一冊でした(手島悠介著、岡本颯子イラスト、岩崎書店1983年)。




「ふしぎなかぎばあさん」を最初とする「かぎばあさん」シリーズの3作目で、「かぎばあさん」とホクロひとつ以外はそっくりな「にせもののかぎばあさん」が登場します。この「にせもの」、贋者といいながら、やっていることは本物の「かぎばあさん」とほとんど同じです。ただ、微妙なところが少しずつちがいます。カバンから取り出す料理の素材がインスタントものだったり、子どもに見せる紙芝居が「人を見たらどろぼうと思え」だったり。
これに対して後半に登場する本物の「かぎばあさん」は、ちゃんと手作りのクレープを用意し、そして信じることの哀しさと美しさを描いたお話をしていきます。
ふたりの「かぎばあさん」は、やっていることもほとんど同じなら、その善意もほとんど同じです。比べさえしなければ、どっちが本物だかわからないでしょう。
けれど、微妙な違いが大きいのです。「にせもののかぎばあさん」は、善意から怪しい人物を「どろぼう」と断定して、警察に通報します。本物の「かぎばあさん」は、そうやって傷ついた子どもたちの心を癒していきます。おもしろいのは、「にせのかぎばあさん」が警察署長の母親だというオチがつくことです。警察とは、人を疑うことが仕事なのです。

そういう仕事をしているからといって、警察を蔑むものではありません。そういう仕事が社会に必要だから、警察は職務としてそれを行っているのです。けれど、社会には、もっと他の仕事も必要です。そして子どもの心により必要なのは、人を疑うことよりも人を信じることではないかと思うわけです。

すべてはバランスのなかにあります。用心をすることも必要なら、ときには思い切って飛ぶことも必要です。警察が疑うことを教えてくれるなら、学校は信じることを教えてはどうかと思うのです。

「いかのおすし」は、果たして学校の仕事なのでしょうか。少なくともそれを子どもたちに斉唱させることはやり過ぎではないかと、私は思うのです。
posted by 松本 at 21:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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