2010年09月14日

「避難訓練」という名のアリバイづくり

今日、息子の通う小学校で「避難訓練」があったというので、「地震対策かな」と思って聞いてみました。すると、不審者対策だというのです。

いろんなケースが想定されたと、息子が報告してくれました。教室に「不審者」が侵入したケース、別の校舎に侵入したケースなどなど。息子は、模範的な行動はどうすべきかもきちんと覚えて帰ってきました。

しかし、ひとつ前のエントリでも書いたとおり、これはほとんど無意味なことです。学校への侵入者による暴行事件は、確かに全国で数年に1回程度は発生します。そんな事件で亡くなられた方や心身に傷を追われた方がいるのも事実です。けれど、発生確率は、非常に低いものです。子どもの安全ということでいえば、交通事故その他の物理的な事故、さらには家庭内での虐待や日常生活での逸脱から巻き込まれる事件の方がよっぽど重大です。偶発的な侵入者による事件は極めて発生数が少ないだけでなく、今回のような「訓練」によっても、実は防ぎにくいものなのです。なぜなら、発生件数が低いということは、それだけ統計的に意味のある対策というものを確立するのが難しいからです。3年前にある県で発生した事件が、1年後に別の県で発生する事件と似通った性質をもっていると考えるほうが無理があるわけです。

それでなくても、指導要領の改訂によって、学校では「時間が足りない」と言っています。実際、この秋の運動会のプログラムも、昨年までよりは減りました。各学年3つのプログラムに出るのが慣例だったところ、今年は2つになったのです。その理由は、学習時間の減少でした。

そんなに忙しいのに、実効性があるかどうかも定かではない「訓練」をするのは何のためなのでしょう。それが意識されているか否かにかかわらず、これは教職員の自己防衛意識の現れではないかと思えて仕方ありません。有り体にいって、万が一何らかの事件が発生したときに、「対策はとっていました」と答えることができるようにするための、いわばアリバイ工作です。そうでもなければ、こんなことをする合理的な理由は考えつきません。

「悪い人」を外部化してしまうこういった「訓練」は、子どもの教育上、非常に問題があると私は思います。「悪い人」は、常に学校の外からやってきます。そう教えられた子どもは、やがて、「敵は外国人」というような誤った排外思想を受け入れやすくならないでしょうか。そうではありません。問題は、外部にもあるでしょうが、同時に内部にもあります。自分自身の中にも、危険の芽は存在します。そういった現実を直視できる人間に育ってほしいと、ひとりの子どもの親である私は切に願っています。

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2012年08月14日

「いかのおすし」は、半世紀前のアメリカの遺物だった!

驚くべきパンフレットを見つけました。以下のリンクです。

http://www.budgetraygun.com/featured/how-to-tell-good-people-from-bad/

http://boingboing.net/2012/08/13/how-to-tell-good-people-from-b.html

1964年頃にアメリカの子ども向けに配布されていたパンフレットらしいのですが、この内容、「悪い人の車には乗らない」「逃げる」など、「いかのおすし」の原型ともいえるものです。もちろん、こんな時代錯誤のパンフレットは、現代のアメリカでは配布されていません。

さて、半世紀前のこのパンフレットを見て、どう思いますか? 「やっぱりいまもむかしも子どもの安全のために重要なことは変わらないんだ」と思うのでしょうか。現代日本で「いかのおすし」を唱える人は、まさにそう思うのでしょう。けれど、この古色蒼然としたパンフレットからわかるのは、「世の中にはいい人と悪い人がいるんだ」という色分けこそがおかしいという事実です。

元記事が消える可能性もあります。お早めにごらんください。
posted by 松本 at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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