2009年11月19日

「恐怖の文化」

先日、Sue Scott教授の研究「Swings and roundabouts」をとりあげましたが、この論文の中で、ケント大学のFrank Füredi教授の「Culture of fear: risk-taking and the morality of low expectation」という1997年の本が引用されていました(2002年の改訂版もあるようですが、引用されたのは旧版でしょう)。Füredi教授には、2002年の「 Paranoid Parenting」という本もあり、こちらは一部抜粋がFüredi教授自身のサイトで公表されています。「Culture of fear」の方はGoogleの書籍検索で一部分を立ち読みできますので、チェックしてみました。

教授の指摘は、「恐怖」を煽りたてることで、常識的には受け入れられないような規範を常識に変化させることができるという点にあるようです。そして、このような操作が日常的に行われる現代文化は、まさに「恐怖の文化」だということでしょう。
1988年にリーズで内務省が開始した「Stranger-Danger」対策のような脅迫的なキャンペーンが悲惨な結果を招いていることは、多くが指摘するところである。知らない人は信じてはならないと子どもたちに警告することで街中を席巻したこのキャンペーンは、この問題に関してほとんどパニックに近い雰囲気を生み出した。ヨーロッパの他のほとんどの地域のどこと比べてもイギリスでは、子どもが自分たちだけで街を歩く自由が失われている。地域によっては、学校への送り迎えをしない親は、子どもを危険にさらしていると白眼視されるようになっている。この「Stranger Danger」文化の帰結は、近年の子どもの自立した行動に関する研究によくまとめられている。「安全が恐怖によって宣伝されるような世界を、私たちは子どもたちのためにつくりだしている。『一歩間違えば命を失うぞ』というようなキャンペーンの伝えるメッセージは、危険の発生源と大きく異なっている。子どもの安全に責任を負う人びとによって何のためらいもなくこのような世界が宣伝され得るということ、それが世論の怒りを引き起こすこともないということは、非常識がここまで常識になってしまったことをよくあらわしているのである」。様々な正義を推進するための装置として恐怖を利用することが、悲しむべきことに広く受け入れられているのである。

このような条を読むと、私自身が反「いかのおすし」キャンペーンに「恐怖の装置」を利用していることが反省されます。つまり、「いかのおすし」を推進することがいかに子どもの正常な発達を妨げるのか、いかに危険であるのかを私はこのブログで説いてきたわけです。つまり、恐怖でもって「いかのおすし」を広めようとする動きに対して、恐怖でもってそれを押しとどめようとしているのです。まさに私自身が、「恐怖の文化」に染まっているのではないでしょうか。
「子どもを守ろう」業界の人びとは、stranger-dangerと子どもが屋外で直面する事故についての警告を発することで、子どもをもつ人びとの間にある種のパラノイアを生み出すのに寄与してきた。2001年6月、子ども事故防止基金が発行した報告書では、子どもの誘拐が親にとって重大なリスクであるという俗説に正当な反論がなされている。これは一歩前進であろう。ところが大きな後退は、誘拐以上に怖ろしい物語が展開されることである。報告書では、子どもの事故が自宅でもっとも危険性が高いことが警告されている。あらゆる低年齢の子どもにとって最大の危険は「自分の家の中にある」のだから、親たるもの、パラノイドになるのならこの正しい危険に関してパラノイドになりましょうというわけである。こういった「こっちの方が危険」という競合する警告が、人びとの恐怖と不安をさらに高めていっているのである。

このような一方的な不安感の増加を、Füredi教授はどうやら子どもをもつ親同士の信頼感の欠如と関連づけているようです。立ち読みなので詳しいことはわかりませんが、「Paranoid Parenting 」の抜粋の方には、
子どもに近づくことで怪しまれるのではないかと過剰に意識する大人の増加は、子どもの親にとって重大な問題になっている。母親、父親は、他人には頼れないと感じるようになっている。それ以上に、多くの子どもの親は、他人が自分の子どものことに手出しをしないで欲しいと考えるようになってきている。親たちは、他の人びとを味方と考えるのではなく、自分の子どもを狙っている変質者かもしれないと思うようになっている。子どもと関わる能力の欠如した大人と「stranger-danger」の不安にかられた親たちは、コインの表裏をなしているわけだ。
という記述があります。

Füredi教授の考え方は、「いかのおすし」と社会を考える上で、注目すべきものであるかもしれません。

posted by 松本 at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 参考資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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