2009年11月02日

Guldberg博士のエッセイについて

一昨日、Helene Guldberg博士のエッセイ「「Stranger-danger」のパニックが敵意に満ちた大人の世界をつくる」を博士の許可を得て翻訳、掲載しました。このエッセイでは、イギリスではすでに、子どもに関わることが爆発物を扱う以上に危険な職業になっていることが述べられています。子どもが危険なのではありません。そういった職業に就くことが、過度の警戒感から疑いの目で見られているということです。そして、疑われる立場にある教員や保育士が、嫌疑を逃れるために子どもに対する十分なケアができなくなっているということでした。

そういった専門職だけではなく、公共の場所で他人の子どもに接することが、即、不審な行動であると見られることから、多くの人が安心して子どもに接することができない様子が書かれています。不審者と間違われたくないばかりに、迷子や困っている子どもに手を差し伸べることができないのです。

これは、子どもにとって大きな不幸です。目の前の問題(迷ってしまったとか、怪我をしたとか)に大人の助力が得られないだけでなく、「困ったときには他人に助けを求める」という人間の生きる上での基本的な知恵を失ってしまいます。大人の模範的行動を見ることもできず、自分自身が人を助ける側に立つ能力も失います。大人に対する信頼感が育たず、ひいては社会に対する信頼を失います。

実際、日本でも、2chあたりで、「子どもに道を尋ねられたら全力で逃げろ」といったような書き込みが頻繁に見られるようです。大げさに表現しているのだと思いますが、「犯罪者をつくらない」ようにすべきところ、「犯罪者にされない」ことばかりが先行し、そのあおりを食って子どもが放置される時代になっているわけです。

アメリカでは、2005年にユタ州の山の中で迷子になった少年が「stranger-danger」を忠実に実行したため「知らない人」から成る救援隊から隠れ、4日間も行方不明になっていた事件が起きました。この事件の後、stranger-dangerは強く批判されるようになって、「知らない人を避けるように教えるのはかえって危険だ」というのが常識になりました。しかし、だからといってstranger-danger教育が衰えたかというと、そうでもないようです。基本のモードは「疑え」で、状況を見て信用するようにということのようです。

これは、危険性を目先のことだけでとらえているからだと思います。目先の問題、「道に迷った」とか「どうすればいいのかわからない」といった問題を解決することだけが重要なのではないのです。そうではなく、社会に信頼が失われることが問題なわけです。子どもの心に社会に対する信頼を取り戻すことが重要なのです。

Helene Guldberg博士のエッセイは、そのことを強く示唆しているように思えます。

posted by 松本 at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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