2009年10月26日

「不審者情報」と社会的排除

以前、このブログで、「不審者は犯罪者ではない。いわゆる不審者もその正体がわかれば人々の不必要な不安は消えるのではないか」というような趣旨のことを書きました。私は間違っていました。人間というものの浅ましさをよくわかっていなかったのです。

今日、「緊急回覧」ということで、町内に「防犯・緊急情報」の紙切れが回ってきました。その原文を下記に写します。
○丁目○○公園に不審者
○月○日午後3時30分ごろ、○丁目○○公園内で40〜50代の男が飲食(酒)をする不審者を住民が目撃し直ぐに110番通報をしました。
直ぐに警察官が駆けつけ職務質問をした結果、浮浪者(ホームレス?)と判明。
翌20日早朝にも同一人物が○○公園にいた為、再度110番通報をしました。警察官が駆けつけ○○警察署に保護されました。
(浮浪者は○○公園に3〜4日間居た模様)
不審者、不審車両を
 見かければすぐに
  110番通報を!

「不審者」は「浮浪者」として排除されたわけです。

「不審者」の正体がわかっても、この街の人々の「不安」はそれでは消えないのです。むしろ、「不審者」が「浮浪者」となったことで、よりいっそう「不安」に駆られて警察に排除を要請したというのが実際の行動でした。おそらく、郊外の住宅地の住民の治安意識というのはこういうものなのでしょう。

確かに、家を失い、行き場を失い、収入を失った人は、そうでない人々よりも犯罪を引き起こす可能性が高いでしょう。だからといって、公共の場所にいる、まだ罪を犯していない人を、自分の身がかわいいからと排除する姿勢は、本当に人間性を失った行動だと私は思います。

かつて、私の若い友人は、自分の家の近所の畑の小屋に身を寄せたホームレスのために、わずかの食料と毛布を差し入れました。数日間の付き合いの中でこの人の困窮の状況や原因がわかり、話し合ううちに最終的にこの人は福祉施設に身を寄せることができました。全ての人に私の友人のような対処までは求めませんが、一人の人間として正面向き合って話し合えば、こういった前向きな解決もできるのです。排除は何ももたらしません。

異質なものを見ればすぐに排除したがる姿勢を、誰も恥ずかしいと思わないのでしょうか。いえ、恥ずかしいと思う心が残っていれば、誰も「いかのおすし」なんて教えないでしょう。「いかのおすし」的教育が堂々とまかり通っている現状と、「浮浪者は警察に突き出せ」という姿勢は、実によく符合します。人間は、ここまで浅ましいものなのでしょうか。

その「浮浪者」がいたという公園には、日中でも人の姿はありません。子どもたちが遊び回る姿を見かけることは、本当に希です。なぜなのでしょう。「いかのおすし」です。危険を日頃から口やかましく注意される子どもたちは、公園のようなオープンなスペースで遊びたくないのです。

そんなさびれた公園ですから、ますます「不審者」が現れます。大半は幻でしょう。けれど、さびれた公園には、そんな幻がよく似合うのです。時折、誰かが言います。「子どもたちが元気に遊び回る公園ならいいのにね」と。いったい、誰が公園をさびれさせたのでしょう。排除する心が、子どもたちの笑い声まで排除してしまったのではないでしょうか。

百歩譲っても、既に解決した「浮浪者」の一件を、「防犯・緊急情報」として流さねばならないと感じる心性とはどういったものでしょう。私は、こんな住民が住む地域にいることが怖くてなりません。

ほんの少し、想像力をはたらかせてみてはどうかと思うのです。

posted by 松本 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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