2009年10月23日

「いかのおすし」に疑義を呈する人々

Webの情報を見渡せば「いかのおすしを子どもに覚えさせましょう」「いかのおすしがたいせつです」といった「いかのおすし」に何の疑問ももっていない人々の発信する情報ばかりがあふれているので、絶望的になります。けれど、細かくみていけば、ときに「いかのおすし」はいかがなものかといった趣旨の情報も、わずかではあるものの見つけることができます。そのいくつかはこれまでにもメモしてきました。今日も2つほど追加します。

まずひとつは、杉並区の区議会での質問の記録です。こちらにありますが、この平成18年の定例会での質問で、関昌央議員という方が次のように述べておられます。
 子どもが道路で遊ばなくなって、親も周りもみんなで子どもを、ちょっと言葉は悪いですが、がんじがらめにしちゃって、一部の子どもは児童館に入れて、あとは塾通いか家に閉じこもっちゃっているのが多くなったのではないでしょうか。もしそうだとするならば、これでよいのだろうかと思うのであります。
 確かに、池田小学校以来、学校が閉鎖的になってしまって、その上、広島や栃木での相次ぐ児童をねらった事件で、関係機関も連れ去り防止の合い言葉というのですか、皆さん「いかのおすし」というのを多分ご存じだと思いますが、知っていらっしゃる方何人くらいいますか。――この「いかのおすし」なんて合い言葉を子どもに教えて、中身はこういうことらしいんですが、知らない人にはついて行かない、二、車や悪い誘いには乗らない、三、助けてと大声を上げる、四、すぐに逃げる、五、大人の人に知らせる、これの部分部分をとって「いかのおすし」というそうでございます。
 子どもに危機感を持たせてしまって、そして子ども安全パトロールで集団下校させたり、ボランティアの人たちが監視するみたいなことがもし長く続いていくとするならば、それでいいんだろうか。果たしてこれでいい人づくりができるんだろうかと思うのであります。
 よく言われることですが、田舎の子どもと都会の子どもを比べると、都会の子どもは頭でっかちになる子どもが多いそうで、徳育、知育、体育、そして食育と言われる中で、その中で徳育や体育の少ない、閉鎖的な、いわゆる犯罪を起こしやすい、これは言ってはいけないのかもしれませんが、そういう子どもができやしないんだろうかと思うのです。頭のよい、そして体のできた、文武両道というんでしょうか、バランスのとれた子どもをつくるのが、多分、山田区長の言っている人づくりなのではないかと思っています。今の子どもが、このふるさととしての杉並の環境の中でどのように生活していくのが最も望ましい姿なのか。区も対応されているとは思いますが、放課後の子どもの遊び方、もうそろそろ、具体的に一年二年かけて検討する必要があるのではないかと思いますが、今日の学校や子どもの状況を教育委員会はどのように受けとめているのか。多分、現状は決して望ましい姿ではないと思っていますが、ご所見をお伺いいたします。

現在の「防犯」体制が望ましい姿ではないといういうのは、非常にまっとうな意見だと思います。

このような「本当はいかのおすしは望ましくないのだけれど」という意見は、数少ない「いかのおすし批判」の大部分を占めます。そして、「望ましくないのだけれど、現状ではしかたない」とトーンダウンします。その「現状」認識をつくっているのは、「犯罪が増加している」という統計情報です。しかし、統計を正確にみれば、増加しているのは犯罪ではなく、「不審者事案」だということがわかります。そして不審者情報は、危険の増加を反映しているというよりは、むしろ人々の危機意識の増大を反映しているものです。

ですから、ここまできたら、いま一歩を進めて、「いかのおすしは望ましくない。だから止めましょう」と言うべきだと思います。

もうひとつは、愛知学泉大学という大学のコミュニティ政策学部の伊藤雅春教授という方のページです。ここの「教員ブログ」では、「2009/3/22:「八幡小学校での授業−『まちづくりリテラシー』ということ」と題して、次のような記述が掲載されています。
 前田さんは、小学生の子どもたちが、自分の町に対してできることとして、4年生にもなったら警察が教えている『いかのおすし』のような逃げではなく、「出会った人に自分から挨拶をするという積極的な行動」をして欲しいと話しました。僕自身は、自分のまちが自分の部屋のように自分たちのものとして感じられるようになるにはどうしたらよいかを伝えたいと思ったのですが、簡単ではありません。「自分がしたいことを自由にすることができるまち。一人でできることではなくて、多くの人たちとしかできないことを自由に提案し、実現することができるつながりのあるまちが、自分たちのまちだと感じることができるのではないか。そういうまちなら、それぞれの人が自ら責任をもって守っていくことができるのではないか。そんな思いで防犯パトロールを自らやっている」ということを伝えたかったのです。

この先生は、日々防犯パトロールを行っておられるようなので、おそらくは「地域の安全が脅かされている」という認識の下に行動されているのでしょう。私としてはその前提からして誤っているといいたいのですが、しかし、その前提から出発しても、「いかのおすしのような逃げではなく出会った人に自分から挨拶をするという積極的な行動をしてほしい」という考えを共有されているのです。

「知らない人」を「不審者」として外部化し、排除していくところからは、真のコミュニティは形成されません。「コミュニティ政策学部」というようなアカデミックな場所からは、そういった公平な観点も生まれるのでしょう。そういった場所から真に批判的な目をもった教育関係者が生まれてきて、「いかのおすし」の問題点を見つめてくれる日がくることを願って止みません。
posted by 松本 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 参考資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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