2009年10月15日

子どもへの安全指導はどうあるべきか

「いかのおすし」を廃止してほしいというのが一児の親である私の願いなのですが、おそらくこれは、「児童への安全指導は必要です」という立場で一蹴されることでしょう。しかし、私は、「いかのおすし」を子どもに唱えさせることが何ら子どもの安全を高めることにもならないと思うのです。本当の意味での安全指導は、全く異なった形でなければならないと思います。そこで、今回は「対案」として、私の考える有効な「安全指導」を説明したいと思います。
なお、私は教育関係者でもなく、また学校で教育関連の学問を学んだこともありません。大学卒業すらしていません。ですから、専門家からみれば滑稽なほど誤ったところもあるかもしれません。それでも、「いかのおすし」よりもはるかに効果の高い安全指導があるはずだという点においては、誤っていないはずです。もしも私にその他の点で誤りがありましたら、ぜひ専門家の方の訂正をいただきたいと考えております。

まず最初に重要なのは、小学校レベルの教育においては、すべての教科を含めたすべての指導が密接に絡み合っているという事実です。国語で文字の読み書きを指導することは算数の文章題読解につながります。音楽や図工は運動神経の発達促進という面で体育と深く関係しています。生活科と括られた理科と社会は、初等教育レベルで深く絡みあっているからこそ、統一的に教えられるようになっているわけです。

安全指導も例外ではありません。これは、生活科や道徳教育と結びついて行われるべきものです。これらの教科と矛盾や齟齬があってはならないでしょう。

そういった出発点からはじめれば、安全教育は何よりも「大人の常識」の押しつけであってはならないことがわかります。そうではなく、子どもら自身に考えさせ、できるならば議論させて、「何が問題なのか」「その解決のために何をすればいいのか」を見出させていくのが正しい指導方法ということになります。

指導者は、問題点となっている事実を、わかりやすく、しかし正確に説明します。「子どもの安全」を課題とするのであれば、子どもがどのような事故や犯罪に巻き込まれるのか、統計にもとづいて重要な順に説明すべきでしょう。この場合、当然ながら第一にくるのは交通安全であり、次にくるのが家庭内の虐待でしょう。以下、子ども同士のトラブルや遊び場での事故などが続き、おそらく誘拐や通り魔ははるかに優先順位の低いこととして取り上げられることもないでしょう。

しかし、社会的な恐怖を全く反映しないわけにもいかないかもしれません。指導の中で、誘拐や通り魔といった犯罪の可能性を取り上げることが有益である場合もあるかもしれません。そういう場合でも、指導者は最初から大人の常識を教えてはいけません。まず、子どもたちに考えさせることです。

たとえば誘拐犯の事例を(警察の流すイメージではなく事実にもとづいたケーススタディとして)子どもたちに考えさせたとしたら、子どもたちはどんな反応を返すでしょう。昨今の闘争的なテレビ番組やゲームの影響を考えるなら、多くの子どもが「たたかう」という答えを出すのではないでしょうか。指導者が介入するタイミングはここです。そして、「いかのおすし」に何らかの真実が含まれるとしたら、この部分でしかありません。

「たたかう」という結論を自ら考え出した子どもに対してそれが実際には被害を拡大すること、そうではなく拒否する、逃げる、叫ぶ、助けを求めることが実際にはより有効なことを事実にもとづいて説明すれば、子どもは自らの誤りを再検討し、新たな考えを納得して受け入れることができます。重要なのは、子どもに考えさせることです。そうすることで新たな考え方は子どもの武器になり得ます。

この違いをはっきりと意識してください。子どもに考える余裕を与えずに「これが正しいから」とばかり「いかのおすし」を斉唱させることは、百害あって一利なしです。そのようにして刷り込まれた「いかのおすし」は、子どもの発達を阻害し、偏見を生み出し、柔軟に危機に対応する能力を削ぎ落とします。一方、子どもが自分で考えて身につけた知恵としての「拒否する、逃げる、叫ぶ、助けを求める」手段は、必要に応じて子ども自身が柔軟に使えます。一般化されて教えられた場合と異なって事例に即して考えていますから、不必要に消極的な態度や一般化された偏見を生じさせる危険性はほとんどありません。実際の危機に際して、よりその場に即した応用が期待できるでしょう。

「そこまで安全指導に時間をかけていられない」のが現場の実状なのかもしれません。時間がないときに、とりあえず「いかのおすし」を一斉に唱えさせるのは簡単で、アリバイにはなるでしょう。しかし、無意味なこと、有害なことをやって意義のあることの代用だと主張するのはおかしなことです。

もしも時間がないのなら、「有効な安全指導を行う時間がとれない」事実を報告しましょう。時間がないのは教員の責任ではありません。もしも文部科学省が安全教育を必要なものだと考えるなら、指導要領を改訂してくれるでしょう。そうでなければ、やっぱり行き過ぎた安全教育は不要なのかもしれません。

以上、私の考える「いかのおすし」に代わる「安全指導」を説明しました。本音でいえば、そういった安全指導さえ必要がないほど、日本の犯罪発生率は低いと思っています。けれど、何事であれ、子どもら自身に自分の頭で考えさせることはいいことです。題材は何であっても構いません。やってはならないのは、無批判に「これが正しい」と大人の考えを刷り込むことです。その弊害は、「いかのおすし」に止まらない一般的なものだと多くの人が認めるでしょう。だからこそ、現代の教育が昔と違った形に進化しているのだと思います。

posted by 松本 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 対案 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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