2009年10月09日

「いかのおすし」と不安社会

前回、資料を元に「いかのおすし」が必要な根拠とされる凶悪犯は実際には増えておらず(過去20年は安定、それ以前から見れば急減)、また連れ去り犯もそれほど多数は発生していないということを示しました。しかし、これは見方を変えれば、「いかのおすし」が効果を上げているからだと、「いかのおすし」が必要な根拠にもなり得る数字です。これほど不安な時代に実際に犯罪が増えていないのは、その対策が十分にとられているからだと、論じることも可能なわけです。

これは検証不能なのです。「いかのおすし」に限りません。一般に、個別の事例は検証不能なものです。たとえば、慢性疾患に苦しむ人は、「医者なんて何の役にも立たない。私の病気はちっともよくならない」と言うでしょう。けれど、担当医に言わせれば、「自分が治療をしているからこの程度で済んでいるのだ」ということになるはずです。治療をしなければもっと悪化していたのを、悪化を食い止めたのは相当な効果と評価するはずです。個別の事例の評価は、立場によってどうにでもなるものです。

学門の世界では、検証不能な個別の事例を論ずるのではなく、複数の事例を統計的に処理して、より客観的な検証を行います。医者の治療に効果があったかどうかは、治療を行わなかったグループと治療を行ったグループの結果を統計的に比較して判定されるでしょう。

けれど、そういった「客観的」とされる検証方法を、「いかのおすし」に適用するのは不可能です。比較可能な2つのグループを用意することができないからです。日本では全国津々浦々で「いかのおすし」が推進されていますから、日本国内の地域間で比較することはできません。日本と外国では犯罪事情がまったく異なるので、比較対象になりません。日本国内で「いかのおすし」がない地域を選べたとしても、ほとんど発生しない連れ去り犯の発生件数を統計的に意味のある比較対象にするのは不可能です。

結局のところ、いくら数字を根拠としてあげても、同じ根拠から、「だから『いかのおすし』なんて不要だ」という結論と、「だから『いかのおすし』が必要だ」という結論の両方が導かれてしまうのです。そして、それぞれ別の結論を導くのは、数字の根拠ではなく、議論をする人の信念であり、世界観です。こればっかりは、いくら議論しても解決するものではありません。

ですから、「いかのおすし」をやめさせたいと思うなら(私は思っています)、「『いかのおすし』なんて不要だ」という考え方に近い信念、世界観の人を議論に巻き込んでいくしかありません。そしてそういう人々はいると、私は思います。

確かに、「いかのおすし」で検索すると、世の中には「子どもに覚えさせましょう」「防犯のために大切です」といった意見ばかりです。けれど、ほんの少しキーワードを変えれば、「いかのおすし」的世界はまっぴらだと感じる人があちこちにいるように見えてきます。

たとえば、遠く北海道の恵庭市では、市議会の議員が、「安全・安心なまちづくり条例」に関して、

解釈として、記載されているのは、不審者情報の収集や防犯カメラの設置で、不必要な市民統制を強めることにつながります。
それが具体的に恵庭の犯罪や交通事故を減らすことにつながるためには、具体的な事例の検証とそれに対する対策を細かく練り上げることだと、私は思います。

という意見をブログに書いておられます。「不審者情報」に誰もが疑問を持たないわけではないと知って、心強く感じます。

地方新聞としては珍しいほどの個性を持った河北新報社の昨年の特集記事では、

日々不審者情報が飛び交い、雇用や社会保障の仕組みは揺らいでいる。不安が不安をあおるような中で、実体を見誤ってはいないか。人々の不安の深層を探る。

というリード文とともに、
多くの自治体や学校で今、不審者情報の発信に積極的に取り組むようになってきた。だが、地域の治安が実際には悪化していないのに、不審者に警戒しようと呼び掛けることは、不要な不安感まであおることにならないのか。

という問題提起をしています。「いかのおすし」的発想の負の側面を問いかけていると考えていいでしょう。ちなみにこの記事のコメント欄には、
子供を狙った犯罪は、寧ろ減っている。ならば、防犯に協力するほうが、社会悪なのではありませんか。敢えて防犯に協力せず、不審者など存在しないことを暴露するのが、正義だと思います。増えてもいない犯罪をちらつかされ、行動を萎縮させられる現代っ子が気の毒です。
学校関係者、警察関係者に対し、はっきり言いましょう。
「子供を狙った犯罪が頻発している。」
「ウソツキ!」。

という書き込みがあります。ただひとり「いかのおすし」に異議を唱える私にとって、心強い言葉です。

実際、「いかのおすし」に関しても、こちらのブログには、
♪ 道を聞かれても ごめんなさい 知りません
♪ 誰か大人に聞いてくださいと言おう
という事を子供に教えないといけない世の中になってしまったんですね、、、
ついこないだ旅先で道を聞いて、人の親切に直接触れてきた身としては、複雑な感情を抱かざるを得ません、、、、
それにこれは、子供に”ウソをついてもいい”という事を認めるだけでなく、薦めていることになります。
現代社会においては、こういった事を教えていかないと子供を守っていけない、、、という止むを得ない事情もわかりますが、なんかなぁ、、、
小さな頃から”ウソをついてもいい”と教わった子供がいったいどんな大人に育つのかという事を考えると、日本の将来をちょっと悲観してしまいます、、、

という書き込みがあります。「いかのおすし」が子どもに対して悪影響を与えると感じる人は、決して少なくないはずです。それが「やむをえない」という大きな声に押されて表面に出てこないだけではないのかと思うのです。

私は、「いかのおすし」にはメリットよりもデメリットがはるかに大きいと思います。こういうことを学校で教えるのはぜひ止めてほしいと思います。そして、学校の教員の方々も、このブログにあるように根拠もなく「不審者が来るかもしれないから帰りなさい」なんて言わないでほしいのです。正体不明の「不審者」のせいにするのではなく、もっと健全な常識として「遅くならないうちに家に帰りましょう」と言えば済む話なのです。「不審者」は、妖怪やおばけと同じレベルで子どもを脅す迷信と化していないでしょうか。そういう迷信に教育者が手を貸していいのでしょうか。

根拠のない「不審者」迷信は、こちらの記事にあるように、「社会的弱者を不審者として排除する格差社会を産んでいる」のかもしれません。大きな声で叫ばれる「いかのおすし」に流されるのではなく、きちんと事実を見つめてみたいものです。

posted by 松本 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 参考資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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