2009年10月05日

現場の教員は「いかのおすし」をどう見ているのだろう?

「人を見たら泥棒と思え」という姿勢は恥ずかしいものです。表現が変わっていても、「いかのおすし」は子どもらに「知らない人=不審者=潜在的な犯罪者」と教えるもので、姿勢としては全く同じです。私は自分の子どもにこんなことを教えてほしくありませんし、自分自身、子どもたちにこんなことを伝えたくありません。そのこと自体が非常に恥ずかしいことだと思うのです。

そんなふうに感じるせいで、現場で子どもたちにこういうことを教える役割を担わされている先生方がどんなふうに感じているのか、知りたい気持ちになります。以前、学校の懇談会の席で「いかのおすし」を持ち出したときには、自分の気持ちを言うのが精一杯で、先生の意見までとても聞くことができませんでした。なかなか難しいものです。

できれば利害が直接関係する担任の先生にではなく、学校関係に勤めている知人にでも尋ねてみようと思います。直接に小学校の教員はいなかったと思うのですが、知り合いの知り合いぐらいの関係なら見つけられそうです。

それはそれとして、ブログを検索していたら、北海道の小学校で教員をされている方のブログに「いかのおすし」関連の書き込みを見つけました。

ひとつは「防犯教室」で「いかのおすし」的な内容の劇を演じた記事です。
http://suzukiq.blog.ocn.ne.jp/index/2007/12/post_4061.html

こちらには、「子供達は大喜びである」とか「学期末の忙しい中、1週間で30のセリフを憶えなくてはならなかったマモル君役のT羽先生の方が災難だったと思われる」といった感想が書いてありますが、「いかのおすし」に関しては、「それにしても「いかのおすし」って何度聞いても覚えられない・・・」とあるのみ。

一方、こちらは「いかのおすし」をメインで取り上げた記事です。
http://suzukiq.blog.ocn.ne.jp/index/2007/12/post.html

こちらの内容は、「もうちょっと親しみやすい標語にしてもらいたいものだ」というもの。やはり、「いかのおすし」そのものには何らの問題視もなく、ましてそれを教えることに対する抵抗もないようです。

こういう感覚が、おそらく世間標準なのでしょう。私の感覚はこれほどまでに世間とはズレているのだと、再認識させられます。

けれど、やっぱり「いかのおすし」的教育は嫌です。問題だと思います。直接に「いかのおすし」ではないけれど、やっぱり同じようなことを感じる人も、少数ではあるけれどいるようです。たとえばこんなブログを見つけると、本当にほっとします。そんな機会は滅多にないのですけれど。
みちのたまご - 人を見たら力になろうと思え

こんな記事を読むと、「いかのおすし」なんて誰も考えなくなる日まで、あきらめずに自分の考えを書きつづけなければならないと思います。それが「人の力になる」ことだと思えてならないからです。

以上、今回も、参考資料の備忘でした。
posted by 松本 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 参考資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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