2009年09月23日

結局、私は何を求めているのか?

「いかのおすし」的教育がおかしいと思ってこのブログを書き始めた私ですが、では、私はいったい何を求めているのでしょう。「ぐちゃぐちゃ文句をつけているけど、何が欲しいんだ?」と聞かれたら、何と答えればいいのでしょう。

私は、自分の子どもに「いかのおすし」を教えてほしくないと思います。それが子どもの成長に悪影響を与えると思うからです。余分なことは子どもに吹き込まないでほしいと思うのです。

「いかのおすし」は指導要領に記載されているわけでもない、学校の自由裁量で指導している事柄です。私は個人的に文部省指導要領の記載事項のなかにさえ、「教えてもらわなくていいよ」と思うことがあるのですが、そこにはとりあえず文句を言わないでおこうと思います。息子を公立の学校に行かせる選択をした時点で、ある程度のことは容認しなければいけないと覚悟を決めました。ですから、「学校で教えると定められたこと」について問題にするつもりはないのです。

「いかのおすし」が教えられるのは、おそらく警察の都合、そして学校の事なかれ主義です。そういった教育とは全く関係のない事柄に子どもを巻き込まないで欲しいのです。

もちろん、親御さん方の中には、やはり報道される「連れ去り犯罪」に対する嫌悪感から(この嫌悪感は私も共有しています)、「学校は予防対策を万全にとって欲しい」と希望される方も多いでしょう。そのために「いかのおすし」推進を願う方も多いかと思います。つまり、私が「いかのおすし」を止めてほしいと願う一方で、それをやってほしいと思う親御さんもいるわけです。学校としては両者の意見を公正に聞いて、おそらくは多数派である「いかのおすし」推進派の意見を尊重せざるを得ないということもあるのでしょう。

けれど、冷静になってほしいのです。「いかのおすし」で子どもの不幸は防げません。たとえばこんな記事にあるように、「いかのおすし」という言葉を覚えても、そこに込められた願いが届いているとは限りません。それよりは、こんな語呂合わせではなく、本当に何を心配しているのか、本当はどうしてほしいのかを具体的に説明する方がいいのではないでしょうか。

そして、さらにじっくり考えていただければ、仮想敵である「知らない人」を持ち出すことが本当に子どもの安全につながるのかどうか、疑わしいことが理解いただけるのではないでしょうか。子どもを傷つけるのは他者かもしれませんが、子どもを救うのも他者です。他者を締め出して可能性を奪うのではなく、もっと踏み込んで、あらゆる状況に「生きる力」を発揮できる知恵を子どもに与えるべきではないのでしょうか。

私は、「いかのおすし」に賛辞を送る人々、「いかのおすし」を子どもに教えるべきだと唱える人々と、対立したくはないのです。そういった人々と手を携えて、本当に豊かな子どもたちの未来を考えていきたいのです。

これは大それた願いなのでしょうか。

posted by 松本 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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