2009年09月18日

「いかのおすし」と交通安全運動と

少し前の記事で、「いかのおすし」のキャンペーンが広く行われるのは、単純にそれが取り組みやすいからではないかという仮説を出しました。より被害が大きく深刻である児童虐待と比較して、児童誘拐は発生率も低く、被害の大きさも(全体としてみれば)小さいものです。しかし、対策としてのキャンペーンの大きさは逆転しています。それは、「知らない人」を悪者と決めつける方が「おうちの人」に対する注意を喚起するよりも簡単だからではないかと、推測できるのです。

しかし、児童誘拐を児童虐待と比較するのが間違っているのかもしれません。子どもが巻き込まれる事件として、もっと頻度が高く、もっと(外面的な)被害が大きいのは、交通事故でしょう。比べるべき対象は、こっちのほうかもしれません。

そして、交通事故に対するキャンペーンは、「いかのおすし」以上に活発です。息子が「いかのおすし」を教えられたのは二学期冒頭でしたが、交通安全に関しては入学直後から繰り返し指導があります(もっとも「いかのおすし」とは異なった「知らない人に気をつけましょう」指導は一学期にもありました。けれど、頻度は交通安全よりずっと低いものだったようです)。公平にいって、ここではより被害の大きなものほどより大きなキャンペーンが行われるという正しい順位づけになっています。

しかし、ここで、「車に気をつけましょう」と「知らない人に気をつけましょう」のちがいを吟味してみる必要があります。

事件・事故は加害者と被害者があって成り立ちます。交通事故の大部分は、加害者・被害者のどちらかが十分気をつけていれば防げるものです。そのため、潜在的な被害者である子どもに交通ルールの徹底と十分な注意を指導することが大きな効果を生むのです。一方の潜在的加害者である運転者にも、免許更新等の機会を利用して度々指導や呼びかけが行われます。キャンペーンは包括的なものとなっているのです。

そして、いくら注意しても防げない交通事故もあります。それは、意図的、半意図的に加害が行われるものです。飲酒運転や薬物の使用、異常な速度違反は、半ば意図的な加害行為です。ごく稀に、「人を跳ねてやろう」と最初から思ってくるような異常行動もあるでしょう。このような意図的な加害に対しては、子どもがいくら交通ルールに気をつけても被害を防ぐことはできません。登校中の子どもの列に猛スピードで自動車が突っ込むときに、被害は子どもの力では防げません。このような被害に対してはいかなるキャンペーンも無力であり、実際、交通安全運動はこういった被害を防ぐことを想定していないはずです。

交通安全運動が想定しているのは、当事者が注意することで防げる事故です。猛スピードで突っ込んでくる車を避けるような訓練は子どもに対してでも可能かもしれませんが、そこまでやることはあえてしないのです。「通常予防できる範囲で予防する」のが常識的なキャンペーンのあり方です。

では、子どもの連れ去り犯罪に関してはどうでしょう。交通安全と同様に、「ルールを守ること」で防げるものでしょうか。

残念ながら、多くの場合、そうではないでしょう。特に営利誘拐などの計画的な犯罪の場合、連れ去りは用意周到に行われます。子どもの自衛行動ぐらいはちゃんと織り込み済みでしょう。「お母さんが呼んでいる」「病院に行こう。急いで車に乗って!」などの口実は、意図的に子どもを騙すために用意されるわけです。不注意や怠慢でルールを破る運転手とは意味が違います。そういった運転手でさえ、意識の上では交通事故を引き起こしたいと思っているわけではありません。ところが、連れ去り犯は意識して事件を引き起こそうとしているのです。

このような意図的な加害行為に対して、子どもに「注意しましょう」と呼びかけることは正しいことなのでしょうか。それは、不意の突進車に対応できるよう、日常的に子どもにスタントマンの訓練を施すのと同じレベルの発想ではないでしょうか。

交通事故被害にあった子どもに、「もっと信号に気をつけていればこうならなかったのよ」と諭すことは意味があるかもしれません。しかし、連れ去られた子どもに「あなたがもっと気をつけていれば...」と言うのはナンセンスです。子どもにそこまでの責任を求めてはならないでしょう。

「車に気をつけて」と「知らない人に気をつけて」は、ほとんど同列に唱えられます。けれど、こうやって考えてみると、対策として前者には意味があるのに、後者にはほとんどないことがわかります。車にはねられることと見知らぬ人に連れ去られることは、親にとってはどちらも耐えがたい恐怖です。どちらも絶対に起こってほしくはありません。そういう立場からいえばふたつの注意喚起は同じレベルのものです。しかし、前者は合理的な対策なのに、後者は「おまじない」でしかありません。

子どもの親に、この点で理性的になれというのは間違っているでしょう。私も一人の男の子の親です。自分の子どもが危ない目にあうと思うだけでお腹のあたりがきゅっとなります。

けれど、学校は理性的、合理的になれるはずです。交通安全と同じレベルで連れ去り犯罪予防の心得を子どもに教えるのは奇妙です。ところが、確かに力の入れかたとしては交通安全が優先されているものの、「いかのおすし」には異常なほどエネルギーが投入されているのです。

なぜ「いかのおすし」がそこまで好まれるのか、案外と深い理由があるのかもしれません。私には現在のところ想像がつかないのですが、機会があれば調べてみたいと思っています。
posted by 松本 at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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