2009年09月16日

「いかのおすし」は安易過ぎませんか?

昨日の記事を書いていて気がついたのですが、「いかのおすし」がターゲットにしている連れ去り犯被害は、その他の子どもが巻き込まれる可能性のある犯罪に比べれば比較的発生率が低いもののようです。もちろん被害が大きいものは、発生する確率にかかわらず問題としては大きいものです。けれど、たとえば両親どちらかによる子どもの虐待では、毎年数十人が殺害されています(出産直後の嬰児殺しを含めればさらに数は増えるとのこと)。発生件数も被害の大きさも、こっちの方がはるかに大きいのに、「知らない人に気をつけましょう」と教えられることがあっても、「知っている人に気をつけましょう」とは教えられません。

もちろん、児童虐待に対する取り組みも、学校では行われています。被害児童が気軽に相談に行けるカウンセラーが学校には(曜日を決めてですが)常駐するようになっています。そのことを知らせるお知らせも子どもたちに配られ、その配布物は子どもが読めるようにわかりやすいひらがなで書いてあります。

けれど、実際にそういった情報が子どもにきちんと伝わっているかといえば、首を傾げたくなります。学校からの配布物は基本的に「親に宛てたもの」として(少なくとも小学校1年生の私の子どものクラスでは)配布されます。息子は「今日は手紙が3枚」というような報告はしますが、中身は見ようとしません。改めて親の方から、「これは君が読むためのものだよ」と渡さなければなりません。おまけに、その文書は、ひらがな書きとは裏腹に、奥歯にものの挟まったような書き方で、よっぽど気をつけなければ「家庭で虐待されている子どもはここに逃げ場がありますよ」というメッセージだとわかりません。

もしも連れ去り犯の予防に「いかのおすし」のようなキャンペーンが必要なのだったら、それ以上に家庭内での児童虐待予防のために強力なキャンペーンが必要になるはずです。けれど、実際には「知らない人に気をつけましょう」ばかりが強調され、もっと被害の大きな児童虐待について子どもが知るべきことを知らせようという努力が見られません。

なぜそうなのかは簡単に想像がつきます。「家族の暴力に気をつけましょう」なんて学校で子どもに教えられたら、私だって穏やかな気分ではいられません。「あなたの親は犯罪者かもしれません」というのは可能性としては嘘ではなくとも、そんなことを言ったらふつう、「何と非常識なことを子どもに教えるのだ」と保護者からクレームが殺到して当然でしょう。

一方、「知らない人には気をつけましょう」といくら大声で言っても、「知らない人」からクレームがつく心配はありません。「知らない人」は学校に文句を言いにきた時点で「知らない人」ではなくなるのですから、「いえ、あなたのことではないんですよ」と答えればおしまいです。「知らない人」はこの地球上に50億人以上います。その無限に多数のよそ者に転嫁してしまえます。ところが「おうちの人」だと、たとえ特定の人に「あなたのことじゃないんですよ」と言い訳したとしても、「じゃあこの学校の保護者にそんな人がいるんですか?」と問い詰められたら返答ができなくなってしまいます。

だから、「いかのおすし」を子どもたちに唱えさせるのは、単純にそれが簡単だからに過ぎません。それを子どもに教えても誰からも文句はこないし、防犯に努力している格好はつきます。実際の効果よりも、そっちの方が重要なのではないでしょうか。

人は問題の重要性によって動くのではなく、問題の取り組みやすさによって動くものです。これは、古くは「パーキンソンの法則」でも指摘されていることです。残念なことに、「いかのおすし」はこの好例となっているようです。

確かにときには、「手をつけやすいところから手をつける」のは重要なことです。けれど、それで事足れるという顔をするのは別問題。そういう態度が子どもたちのどんな模範になるかは言うまでもありません。

困難なことでも、人を導く学校には、困難な課題から優先して取り組んでもらいたいものだと思います。
posted by 松本 at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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