2010年02月05日

いかのおすし指導の実際に少しだけ安心

昨日、小学校1年生の息子が学校で「安全訓練」があったというので、「どんなことを教えてもらったの?」と尋ねてみました。すると、「怪しい人に気をつけることとか」というので、「ああ、やっぱりいかのおすしだ」と、もうちょっと詳しく聞いてみました。

「怪しいひととか泥棒とかに気をつけましょうっていうこと」と、かなりいい加減なことを聞いてきています。まさか子どもに「泥棒に気をつけましょう」とは教えないでしょう。「じゃあ怪しいひとってどんなひとって教えられた?」と尋ねると、案の定、「怪しいひととかあ...」と、具体的ではありません。「いかのおすし」の困った点のひとつは、誰でも「不審者」にしてしまうことです。現実には犯罪性のある不審者はごくごくわずかで、大半の「不審者」は単純に見慣れないひと、理解できない行動をしているひと、あるいはもっと極端には「知らないひと」でしかありません。ここをしっかりおさえないと、子どもの心から人間に対する信頼が失われてしまうと私は危惧するわけです。

実際、子どもに具体的に犯罪の匂いを嗅ぎ分けるよう求めるのは無理でしょう。大人にだってたいていはわかりません。「いかのおすし」は出発点から破綻していると思います。そこで、私は息子に、「じゃあ、怪しいひとってだれ? 知らないひとはみんな怪しいひとなの?」と重ねて聞きました。すると息子は、「ちがうちがう、誰でも疑ったらあかんねん」と言いました。そのように学校で教えられたと。

では、どういうときに気をつければいいのかと聞いてみたら「しつこく聞いてくるときは気をつける。それから、どんなときでもこのくらい離れる」といって両手をいっぱいに伸ばしました。

これは正しいと思います。最初に疑いありきではなく、普通に対応して、それが尋常でなければ用心するというのは、何も「いかのおすし」を持ち出さなくても常識的な行動です。そして、他人に対してある程度の物理的な距離を置くというのは、安全のためでもあるし、礼儀の上でもそうあるべきことでしょう。

このブログでは「いかのおすし」教育の弊害をしつこく繰り返してきましたが、実際に息子が報告したように過剰な危機意識を子どもに植え付けるのでない「安全教育」なら、まあそれほど害はないのかなと、少し安心した次第です。もっとも、だからといって「いかのおすし」の奇妙さがなくなるわけではないのですけれど。

posted by 松本 at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

やっぱりおかしい「いかのおすし」

この数ヶ月、「いかのおすし」問題について考えることはあまりありませんでした。寒くなってあまり出歩かなくなったことが関係しているのかもしれません。「いかのおすし」的世界に触れることがなければ、これが問題だという気持ちにもなりません。

もともと私が問題意識をもったのは、昨年9月の新学期、小学校1年生の息子が学校で「いかのおすし」を教えられたことがきっかけでした。これにどうにも納得できなかった私は「いかのおすし」について調べ始めたわけです。そして、身の回りに無数にある「いかのおすし」的発想に気づき、批判を繰り広げました。

しかし、直接「いかのおすし」が身に降りかかってきたのはこのときぐらいです。以後、自分から「いかのおすし」について調べたり、そんな話題を持ち出すようなことはあっても、「いかのおすし」の方からやってくることは特にありませんでした。

そういうこともあって、「まあこの問題はもういいか」という気持ちにもなっていました。さらに3学期の初めに息子の学校であった「安全教室」の内容がそれほどひどいものでもなかったので、「常識的にいってそこまでひどいことはしないんだなあ」と納得したりもしていました。

けれど、先日久しぶりに「いかのおすし」で検索をかけて、状況は相変わらずなのに気づきました。当たり前といえば当たり前です。何が変わったわけでもないのです。単純に、私のモチベーションが下がっていただけで、「いかのおすし」を巡る悲惨な状況は変わりません。

私が悲しいと思うのは、どうして「子どもの安全」という大義名分の前で、誰もが思考停止をしてしまうのかということです。何度でも繰り返しますが、「子どもの安全」は何よりも大切です。しかし、「いかのおすし」は、警察的観点からの安全に対する回答ではあり得ても、一般解ではあり得ません。人間に対する信頼なくして、どうして人間が安全でいられるでしょう。そんな単純なことも、「子どもが危険だから」というお題目の前で考えられなくなっている状況が悲しいのです。

やはり、「いかのおすし」批判は続けなければいけないと思います。ただ、非論理的な行動を理解するには、深層まで掘り下げた批判が必要になります。前途多難にため息をつくこの頃です。

posted by 松本 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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